勝間和代十夜
2009.06.17 [ Edit ]
勝間和代は明石家さんまの隣りに並んでいた。ほかにも、小錦、タモリ、オバマ大統領などが並んでいる。商品名に芸能人の名前を載せるわけに行かず、おすもうさん、グラサン、大統領といった名称が記されているのだが、これは大人の事情によるものである。出っ歯の隣りの勝間和代も、大人の事情により、経済評論家と書かれていた。私は勝間和代を手にとって眺めたが、裏側を見ると、公認会計士と印刷されている。
どちらかといえば、爬虫類のほうが良いんじゃないだろうか。
私はそんなことをつぶやきながら、勝間和代をレジに持っていった。
帰宅後、勝間和代を被ってみた。ゴムとシンナーの匂いが鼻を刺激する。視界が悪いのは、目と目の間隔が離れているからだろう。正面を見ようとすると何も見えないため、視線を少しずらすように斜めを向いてみた。部屋の鏡に写った勝間和代がこちらを睨んでいる。私は勃起していた。
次の日、私は会社を休んだ。直子に電話をかけて事情を話し、買い物につきあってくれと頼んだ。デパートで、直子は私のために白のパンツスーツとサーモンピンクのカットソー、補正下着を選んでくれた。27センチのパンプスはさすがに見つからなかったので、これはネットで探すことにした。
大荷物を抱えて家に帰ると、早速、私は勝間和代になった。直子から借りたネックレスとイヤリングをつけ、鏡の前で右手を正面に突き出してみた。小指を少し広げると、完璧な勝間和代になった。
「断る力」
私がキメると、鏡の向こうで直子が 「ウィンウィン」 と答えた。
勝間和代を好きになるよりも、勝間和代として愛されたい。私は直子を抱きしめたが、彼女は 「ウィンウィン」 と答えるばかりだった。
その翌日も会社を休み、私は勝間和代になって新宿の街へ出た。人目をひくかと思っていたのだが、そうでもない。街にはすでに大勢の勝間和代が闊歩していたのである。
私はもう会社へ行くことはなかった。なにしろ年収10倍アップが約束されているのだ。
月末頃には街中が勝間和代で溢れていた。駅前を歩くカップル、タクシー運転手、工事現場の誘導員、ベビーカーを押す親子連れ。すべてが勝間和代だった。
そのとき、アルタのスクリーンに勝間和代が映った。巨大な画面の中の勝間和代はテレビカメラに向かって言葉を放った。
「その時から、私の世界はドラマティックに変わりはじめました。」
街の無数の勝間和代がどよめいた。
<了>
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勝間和代十夜とは
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すっかり出遅れてしまいましたが、勢いで参加します。
スポンサーサイト田山花袋 『少女病』
2009.06.01 [ Edit ]
「少女万歳ですな!」
そんな彼の、文学以外の趣味は、通勤電車の中で見かける少女を観察することであった。
杉田の住まいは千駄ヶ谷である。当時は田圃の広がるのどかな郊外だった処だ。春の朝、彼が代々木から電車に乗ると、はす向かいに二人の少女の姿がある。
年上の方の娘の眼の表情がいかにも美しい。星――天上の星もこれに比べたならその光を失うであろうと思われた。縮緬(ちりめん)のすらりとした膝のあたりから、華奢な藤色の裾、白足袋をつまだてた三枚襲(さんまいがさね)の雪駄、ことに色の白い襟首から、あのむっちりと胸が高くなっているあたりが美しい乳房だと思うと、総身が掻(か)きむしられるような気がする。一人の肥(ふと)った方の娘は懐(ふところ)からノートブックを出して、しきりにそれを読み始めた。
少女を観察するには 「七分くらいに斜(はす)に対して座を占めるのが一番便利」 だと書かれているとおりだが、この観察力は常軌を逸している。
千駄ヶ谷では 「不器量な、二目とは見られぬような若い女」 が乗ってくる。
信濃町では収穫なし。
四ツ谷から18歳くらいの美しい女学生が乗車する。彼女は混雑する車内で、杉田の前に立った。
こみ合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはないので、今までにも既に幾度となくその嬉しさを経験した。柔かい着物が触る。えならぬ香水のかおりがする。温かい肉の触感が言うに言われぬ思いをそそる。ことに、女の髪の匂いというものは、一種のはげしい望みを男に起こさせるもので、それがなんとも名状せられぬ愉快をかれに与えるのであった。
杉田は結婚して子供も二人いる。だが、若い頃の妻への情熱はとっくに冷めている。出版社の仕事はつまらない。
午後三時過ぎ、退出時刻が近くなると、家のことを思う。妻のことを思う。つまらんな、年を老(と)ってしまったとつくづく慨嘆する。若い青年時代をくだらなく過ごして、今になって後悔したとてなんの役にたつ、ほんとうにつまらんなアと繰り返す。若い時に、なぜはげしい恋をしなかった? なぜ充分に肉のかおりをも嗅(か)がなかった? 今時分思ったとて、なんの反響がある? もう三十七だ。こう思うと、気がいらいらして、髪の毛をむしりたくなる。
(中略)
いくら美しい少女の髪の香に憧れたからって、もう自分らが恋をする時代ではない。また恋をしたいたッて、美しい鳥を誘う羽翼(はね)をもう持っておらない。と思うと、もう生きている価値(ねうち)がない、死んだ方が好い、死んだ方が好い、死んだ方が好い、とかれは大きな体格を運びながら考えた。
「死んだ方が好い」 を3回も繰り返すくらい、絶望しているのである。
帰りの電車では混雑のため、車掌のいる所に割り込んで、扉の外に立ち、真鍮の棒につかまっている。ふと見ると、車中に美貌の令嬢がいる。混雑とガラス越しのため、杉田はその姿に見とれてしまう。市谷を過ぎたあたり、電車が急に揺れ、他の乗客に押された彼の手は真鍮の棒から離れ、その体は線路に転がり落ちる。そこへ反対方向から上り電車が走ってきて……
田山花袋 『少女病』 は、明治40年に発表された短編小説である。
「何この変態!」 と一言でまとめてしまうことのできるような話ではあるが、車内光景の描写、主人公の心理描写ともに、すさまじいまでのリアリティを感じさせる。
本作には名前を持った女性は一人も登場しない。ここに描かれる 《少女》 たちは記号にすぎず、彼女たちの容姿(の一部)が極端にまで美化され、主人公の中で理想化されているのである。
かつて1980年代には女子大生ブーム、90年代には女子高生ブームがあった。そして、似たような意味の少女ブームは現在に至るまで続いている。逆に、時代を遡っていくと、100年前に書かれたこの小説にたどり着くのではないか。『少女病』 は現代にも通じる 《記号化された少女》 と、都市生活の憂鬱と、中年の悲哀とを余すところなく描いた名作なのである。
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昨年出版された小説と写真集のコラボレーション(?)という本。文庫本より一回り大きなサイズ。活字が大きく、詩集のような感覚で読める。
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日本近代文学と鉄道の関係について書かれたエッセイ集。「電車は東京市の交通をどのように一変させたか」 という章で、『少女病』 についてくわしく論じている。(この本は本当に面白いので、おすすめです。)
谷崎潤一郎 『独探』
2009.05.24 [ Edit ]
《私》 ことミスター・タニザキは西洋に憧れ、外国語を学びたいと思っている。初めて紹介された墺太利(オースタリー)人 G 氏からドイツ語を教わるのだが、G 氏がきわめて胡散臭い人物だったからさあ大変、という喜劇仕立ての話である。
ひたすら西洋(というより白人か)を崇拝する 《私》 と G 氏の奇妙なやりとりだけで、どんどん引っ張っていく不思議な小説だ。特別な事件が起こるわけではなく、すごい美女が登場するわけでもなく、ようするに何だかよくわからない話なのである。にもかかわらず、次はどうなるんだろう? と読み進めてしまうのは、谷崎マジックにちがいない。
文章はきわめて平易であり、表現に特別な工夫がこらされているとは思えない。どちらかというと、文脈の組み立て方に、独特の味わいが感じられる作品だと思う。
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太宰治 『地図 初期作品集』
2009.05.06 [ Edit ]
その頃の私は、大作家になりたくて、大作家になるためには、たとえどのようなつらい修業でも、またどのような大きい犠牲でも、それを忍びおおせなくてはならぬと決心していた。
太宰治 「断崖の錯覚」 (昭和9年、黒木舜平というペンネームで発表された小説。)
本書は太宰治の、県立青森中学校時代、旧制弘前高等学校時代から、処女作品集 『晩年』 (昭和11年発表)直前までの作品を中心に、編纂されたものである。(一部例外的に、デビュー後の新潮文庫未収録作品も入っている。) ほぼ年代順に構成されているため、太宰の成長、変貌ぶりがわかって非常に面白い。
子供の作文レベルとしか思えないような作品も混ざっているが、それでも太宰の、あの独特の自意識、自尊心、含羞は少年時代にすでに完成されていたのだと思う。また、青森・弘前時代の太宰には、都会的な文化に対する憧れが強く、方言に対する呪詛、不自然なまでに強調された東京弁の使用といったものが、文章からはっきりと伝わってくる。
それから、「ああ、この時期に太宰は童貞喪失したんだな。」 というのが、残酷なまでにわかってしまう作品もある。そういった点も含めて、本書は作品よりも作家自身に関心を持つ読者向けといえよう。もっとも、太宰の場合、多くの作品は作者に興味を持たざるを得ない傾向があるのだけど。
本書は、一人の天才作家の成長記録である。
全集本に収録済みの作品ばかりだそうだが、このような形で太宰の初期作品を読めるようになったのは、うれしいことだと思う。
これから本書を手にとろうという方は、先に 『晩年』 を読んでおくことを強くおすすめする。『晩年』 の原型となった小説がいくつか含まれているからである。
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芥川龍之介 『雛』
2009.05.05 [ Edit ]
『雛』 は、大正12(1923)年に発表された短編小説。
明治の昔、没落した士族の父は、立派な雛人形一式を骨董屋に売り、家計の足しにすることにした。買い手は横浜の亜米利加人。骨董屋は父に半額の手付金を渡す。
娘の 《わたし》 は、もう一度雛人形を見たいとせがむが、父は「一度手附けをとつたとなりやあ、何処にあらうが人様のものだ。人様のものはいぢるもんぢやあない。」と言って許さない。
いよいよ雛人形を手放す前の夜、《わたし》 は薄暗い行燈をともした土蔵に、父の横顔を見つける。父は雛人形を並べて眺めていたのである。
しかしわたしはあの夜更けに、独り雛を眺めてゐる、年とつた父を見かけました。これだけは確かでございます。さうすればたとひ夢にしても、別段悔やしいとは思ひません。兎に角わたしは眼のあたりに、わたしと少しも変らない父を見たのでございますから、女々しい、……その癖おごそかな父を見たのでございますから。
雛人形を愛する全ての女性に、娘を愛する全ての父親に、読んでいただきたい好篇である。




