真夏の着ぐるみ 「ひつじのしつじくん」
2009.07.26 [ Edit ]

ドコモ・ショップを通りかかったら、大きな着ぐるみが登場。
「i コンシェル」 というサービスのキャラクターで、「ひつじのしつじくん」 という名前だそうです。
おでこのあたりにのぞき穴がありますけど、中の人の身長150センチくらい。両手を広げた横幅も同じくらいあります。ショップの自動ドアを通り抜けて出てくるのが大変そうでした。
すごく暑い日だったんですが、カメラを向けたらこんな風にポーズをとってくれたんですよ。
ところで、僕も最近ドコモの携帯を新しい機種にしたので、上の画像も携帯で撮影したのですが、画像が細長いんですね。240*428ピクセルという携帯の画面サイズなんですが、まだ慣れていなくて、下のほうが少し余ってしまいました。
スポンサーサイト谷崎潤一郎 『白晝鬼語』
2009.07.03 [ Edit ]
「君、君、電話口でそんな大きな声を出しては困るよ。………誰が誰を殺すのだかは、僕にも分かって居ない。精しい事は電話で話す訳には行かないが、僕は或る理由に依って、今夜或る所で或る人間が或る人間の命を断とうとして居る事だけを、嗅ぎつけたのだ。勿論その犯罪は、僕に何等の関係もあるのではないから、僕は其れを豫防する責任も、摘発する義務もない。たゞ出来るならば犯罪の当事者に内證で、こっそりと其の光景を見物したいと思うのだ。君が一緒に行ってくれゝば僕もいくらか心強いし、君にしたって小説を書くよりは面白いじゃないか。」
探偵小説というのはたいがい犯人を推理したり、トリックを暴いたり、犯行の動機をつきとめたりすることに読者の興味を持っていくわけだが、『白晝鬼語』(大正7年発表)の場合、興味の対象はあくまでも犯行場面そのもの、そして探偵の側の動機である。探偵といっても素人探偵だから動機は単純、野次馬なのだ。
「その犯罪は、僕に何等の関係もあるのではないから、僕は其れを豫防する責任も、摘発する義務もない。」というセリフは主人公の発言にしてはあまりにも無責任だが、野次馬とは所詮そんなものだろう。もちろん、野次馬的興味を持っているのは、小説の読者も同様である。
では野次馬的興味を極限まで突き詰めて行ったらどうなるのか。案の定、ミイラとりがミイラになったりするのだが、そのあとさらに! そして!……というのが、本作の面白さなのであった。
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集英社文庫版は新字・新かな表記のため、『白昼鬼語』 というタイトルになっている。
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中公文庫版は旧字表記で、『白晝鬼語』 になっています。
夏目漱石 『私の個人主義』
2009.07.03 [ Edit ]
このうち、明治44年8月、明石における講演は 「道楽と職業」 と題されている。職業観がテーマなので、小説 『それから』 に通じる内容である。きわめて真面目な講演なのだが、語り口は軽妙で、非常にわかりやすい。まるで、『坊っちゃん』 の文体で 『それから』 を読んでいるような感じがする。文豪漱石が読者に直接語りかけてくるような 《話し言葉》 が魅力である。
私が演説を頼まれて即席に引受けないのは、足袋屋みたいにちょっと出来合いがないからです。どうか十文の講演をやってくれ、あそこは十一文甲高(こうだか)の講演でなければ困るなどと注文される。そのくらいに私が演説の専門家になっていれば訳はありませんが私のお手際はそれほど専門的に発達していない。素人が義理に東京からわざわざ明石辺までやって来るというくらいの話でありますから、なかなかそう旨(うま)くはいきませぬ。足袋屋はさておいて食物屋(たべものや)の方でもチャンとした専門家があります。例えば牛肉も鳥の肉も食わせる所があるかと思うと、牛肉ばかりの家(うち)があるし、また鳥の肉でなければ食わせないという家もある。あるいはそれが一段細かくなって家鴨(あいがも)よりほかに食わせない店もある。しまいには鳥の爪だけ食わせる所とか牛の肝臓だけ料理する家ができるかも知れない。分れて行けばどこまで行くか分りません。こんなに劇(はげ)しい世間だからしまいには大変なことになるだろうと思う。
とにかく職業は開化が進むにつれて非常に多くなっていることが驚くばかり眼につくようです。
夏目漱石 『私の個人主義』 より 「道楽と職業」
職業の専門分化について述べた箇所の引用だが、話が具体的でしかもユーモアを感じさせる。それにしても、話の展開が速すぎるのではないか。生で聴いていたら、よほど集中していない限り何の話題なのかわからなくなってしまうくらい、ほとんど脱線に近い展開であろう。もっとも実際は、かなりゆっくりしゃべっていたのかもしれない。途中、会場に笑いが起こったりして、そういうときは少し間を置いてみたり、ちょっと得意そうに指先で口髭をこすってみたりしたのではないだろうか。
ところで、関西講演会の最終日、大阪での講演終了後、漱石は持病の胃潰瘍が悪化し、当地の病院へ入院してしまう。そのときの模様については、夏目鏡子夫人の回想録、『漱石の思い出』 に書かれている。
社の方がよくかわるがわるお見舞いにきてくださるうちに、小西勝一さん(引用者注:朝日新聞社専務取締役)は毎日毎日顔を出して、初め私がまだ参らない前には、お気の毒なくらい心配して何かと気をつけて買いととのえたりしてくだすったそうですが、……(中略)……後でも社が退けるときっと一度は顔を出されて、奥さんの前だが、夏目さんの講演はいたるところ女学生に大持てでしてねなどと話してかえられたものでした。
夏目鏡子述・松岡譲筆録 『漱石の思い出』
夏目先生、ちょっと頑張りすぎちゃった、というのが真相かもしれない。
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