谷崎潤一郎 『独探』
2009.05.24 [ Edit ]
大正4年に発表された短編小説。独探とはドイツのスパイという意味だが、スパイ小説ではない。
《私》 ことミスター・タニザキは西洋に憧れ、外国語を学びたいと思っている。初めて紹介された墺太利(オースタリー)人 G 氏からドイツ語を教わるのだが、G 氏がきわめて胡散臭い人物だったからさあ大変、という喜劇仕立ての話である。
ひたすら西洋(というより白人か)を崇拝する 《私》 と G 氏の奇妙なやりとりだけで、どんどん引っ張っていく不思議な小説だ。特別な事件が起こるわけではなく、すごい美女が登場するわけでもなく、ようするに何だかよくわからない話なのである。にもかかわらず、次はどうなるんだろう? と読み進めてしまうのは、谷崎マジックにちがいない。
文章はきわめて平易であり、表現に特別な工夫がこらされているとは思えない。どちらかというと、文脈の組み立て方に、独特の味わいが感じられる作品だと思う。
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《私》 ことミスター・タニザキは西洋に憧れ、外国語を学びたいと思っている。初めて紹介された墺太利(オースタリー)人 G 氏からドイツ語を教わるのだが、G 氏がきわめて胡散臭い人物だったからさあ大変、という喜劇仕立ての話である。
ひたすら西洋(というより白人か)を崇拝する 《私》 と G 氏の奇妙なやりとりだけで、どんどん引っ張っていく不思議な小説だ。特別な事件が起こるわけではなく、すごい美女が登場するわけでもなく、ようするに何だかよくわからない話なのである。にもかかわらず、次はどうなるんだろう? と読み進めてしまうのは、谷崎マジックにちがいない。
文章はきわめて平易であり、表現に特別な工夫がこらされているとは思えない。どちらかというと、文脈の組み立て方に、独特の味わいが感じられる作品だと思う。
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スポンサーサイト太宰治 『地図 初期作品集』
2009.05.06 [ Edit ]
その頃の私は、大作家になりたくて、大作家になるためには、たとえどのようなつらい修業でも、またどのような大きい犠牲でも、それを忍びおおせなくてはならぬと決心していた。
太宰治 「断崖の錯覚」 (昭和9年、黒木舜平というペンネームで発表された小説。)
本書は太宰治の、県立青森中学校時代、旧制弘前高等学校時代から、処女作品集 『晩年』 (昭和11年発表)直前までの作品を中心に、編纂されたものである。(一部例外的に、デビュー後の新潮文庫未収録作品も入っている。) ほぼ年代順に構成されているため、太宰の成長、変貌ぶりがわかって非常に面白い。
子供の作文レベルとしか思えないような作品も混ざっているが、それでも太宰の、あの独特の自意識、自尊心、含羞は少年時代にすでに完成されていたのだと思う。また、青森・弘前時代の太宰には、都会的な文化に対する憧れが強く、方言に対する呪詛、不自然なまでに強調された東京弁の使用といったものが、文章からはっきりと伝わってくる。
それから、「ああ、この時期に太宰は童貞喪失したんだな。」 というのが、残酷なまでにわかってしまう作品もある。そういった点も含めて、本書は作品よりも作家自身に関心を持つ読者向けといえよう。もっとも、太宰の場合、多くの作品は作者に興味を持たざるを得ない傾向があるのだけど。
本書は、一人の天才作家の成長記録である。
全集本に収録済みの作品ばかりだそうだが、このような形で太宰の初期作品を読めるようになったのは、うれしいことだと思う。
これから本書を手にとろうという方は、先に 『晩年』 を読んでおくことを強くおすすめする。『晩年』 の原型となった小説がいくつか含まれているからである。
![]() | 地図 初期作品集 (新潮文庫) (2009/04/25) 太宰 治 商品詳細を見る |
芥川龍之介 『雛』
2009.05.05 [ Edit ]
芥川龍之介 『雛』 (青空文庫)
『雛』 は、大正12(1923)年に発表された短編小説。
明治の昔、没落した士族の父は、立派な雛人形一式を骨董屋に売り、家計の足しにすることにした。買い手は横浜の亜米利加人。骨董屋は父に半額の手付金を渡す。
娘の 《わたし》 は、もう一度雛人形を見たいとせがむが、父は「一度手附けをとつたとなりやあ、何処にあらうが人様のものだ。人様のものはいぢるもんぢやあない。」と言って許さない。
いよいよ雛人形を手放す前の夜、《わたし》 は薄暗い行燈をともした土蔵に、父の横顔を見つける。父は雛人形を並べて眺めていたのである。
雛人形を愛する全ての女性に、娘を愛する全ての父親に、読んでいただきたい好篇である。
『雛』 は、大正12(1923)年に発表された短編小説。
明治の昔、没落した士族の父は、立派な雛人形一式を骨董屋に売り、家計の足しにすることにした。買い手は横浜の亜米利加人。骨董屋は父に半額の手付金を渡す。
娘の 《わたし》 は、もう一度雛人形を見たいとせがむが、父は「一度手附けをとつたとなりやあ、何処にあらうが人様のものだ。人様のものはいぢるもんぢやあない。」と言って許さない。
いよいよ雛人形を手放す前の夜、《わたし》 は薄暗い行燈をともした土蔵に、父の横顔を見つける。父は雛人形を並べて眺めていたのである。
しかしわたしはあの夜更けに、独り雛を眺めてゐる、年とつた父を見かけました。これだけは確かでございます。さうすればたとひ夢にしても、別段悔やしいとは思ひません。兎に角わたしは眼のあたりに、わたしと少しも変らない父を見たのでございますから、女々しい、……その癖おごそかな父を見たのでございますから。
雛人形を愛する全ての女性に、娘を愛する全ての父親に、読んでいただきたい好篇である。
ヴァージニア・ウルフ 『灯台へ』
2009.05.02 [ Edit ]

イギリスの女性作家、ヴァージニア・ウルフ(1882〜1941)が、1927年に発表した長編小説 『灯台へ』 を読んだ。
(僕が読んだのは、上の画像の、古書店で手に入れた昭和31年刊行の新潮文庫版。表紙は旧字体だが、本文は新字体で書かれている。)
スコットランド西部(大西洋側)にあるスカイ島を舞台に、別荘に住むラムジー(ラムジイ)夫妻と8人の子供たち、夫妻の友人・知人が登場する。
小説は3部構成になっている。全体の半分以上を占める第1部は、ラムジー夫人が6歳の息子ジェームズを連れて、別荘から望む小島の灯台を見に行く前日の話(悪天候のため中止となる)。 第3部は、ラムジー氏が娘のカムとジェームズを連れて、小舟に乗って灯台へ行く話となっている。
問題なのは第2部で、わずか20ページ程度の長さなのに、10年の歳月が流れ、ラムジー夫人と子供たちのうち二人が死ぬ。まるでビデオテープの早送りのような超展開なのだ。(ちょうどこのあいだに、世界大戦をはさんでいる。)
意識の流れ - Wikipedia
本作のキーワードは、“意識の流れ” である。
何の説明も紹介もなしに、いきなり複数の登場人物の心理描写から始まる(そして最後までそれが続く)ため、最初はとっつきにくいのだが、読み進めるうちに人物や人間関係などがちゃんとわかる仕組みになっている。そして、最後は感動する。
登場人物も、一人ひとりが実に魅力的だ。特に、スポットライトを浴びるラムジー夫人とリリー・ブリスコウ(素敵な名前だと思いません?)という二人の女性の、対照的な生き方が深い印象を残す。
1927年といえば、日本では芥川龍之介が 『歯車』 を書いた年にあたる。それまでにないぶっ飛んだ小説が、世界的に多く書かれた時代だったのかもしれないと思う。
![]() | 灯台へ/サルガッソーの広い海 (世界文学全集2-01) (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2) (2009/01/17) ヴァージニア・ウルフジーン・リース 商品詳細を見る |
鴻巣友季子による新訳版が出たばかり。これは読みたいと思っている。
![]() | 灯台へ (岩波文庫) (2004/12) ヴァージニア ウルフ 商品詳細を見る |
入手しやすいのは、御輿哲也訳の岩波文庫版。これも評判は良いようだ。




