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FETISH STATION

From Tokyo to the world.

小谷野敦 『美人作家は二度死ぬ』

2009.02.28 [ Edit ]

 今年刊行されたばかりの小谷野敦(奥付に 《こやの とん》 とルビが振られている)の新作小説。もしも樋口一葉が夭折せず長生きしていたら? という設定で書かれた一種のパラレルワールドものである。
 1985年、大学院で日本近代文学を専攻する菊池涼子は、文学史から忘れ去られた明治の女流作家をテーマに修論を書こうとしている。作中、涼子の現在と子供の頃のエピソード、一葉の20歳のときの日記と50代(大正末期)のときの述懐が交互に描かれ、ちょっと精神的にトリップしたような感覚に心地よく酔う。

 決して読みやすい文章ではなく、純文学ではこれが普通なのかもしれないが、ずいぶんワンセンテンスが長いなあ、接続助詞「〜が」が一つの文に3回も出てくる(124ページ)のはどうなんだろう、などと首を傾げつつ読み進めていくうち、ああこれは口語で書かれた一葉の文体なのだと気づいて、これはしまったやられたな。

 1980年代の大学の雰囲気は、僕も経験しているのだけど、非常にリアルに描かれていると感じた。特に飲み会の場面。当時、居酒屋というのは決しておしゃれな場所ではなかったわけで、そういう場面で好みの女子の隣りの席を狙う男子たちというのは、想像すると微笑ましく思えるのである。

 樋口一葉こと山室なつ子はその後どうなったのか。戦中戦後をどのように生き、昭和35年に88歳で没するまでどのような人生を送ったのか、続きが知りたいと思う。



美人作家は二度死ぬ美人作家は二度死ぬ
(2009/01)
小谷野 敦

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村上春樹 『ノルウェイの森』

2009.02.21 [ Edit ]

ノルウェイの森


 本棚から 『ノルウェイの森』 を取り出してみたら、こんなカバーだった。現在書店に並んでいる赤と緑のカラフルなもの(最初に出た単行本は赤と緑だった)と違い、ごくシンプルなものだ。活字も小さく、1冊あたり260ページ程度のものである。
 奥付を見ると、1994年と印刷されている。15年も前じゃないか。

 ページをめくると、1987年の 《僕》 が西ドイツで飛行機に乗っていて、1969年のことを思い出そうとしていた。
 そして、読んでいるほうの僕は、40年前の世界へと入っていく。

 15年経つと世の中いろいろ変わるものである。世の中だけでなく、僕自身も大きく変わったのだ。当時幼かった僕の息子は 《僕》 と同い年になり、僕は 《レイコさん》 の年齢をはるかに超えてしまった。
 小説には、その時代にしか通じない価値観や考え方と、時代を超えて読者に訴えかけるものとがあると思う。それにしても、1980年代に書かれた小説って、どうしてこんなに現代との違いを強く感じてしまうのだろう。(本作に描かれている世界のほとんどは1960年代を舞台にしているが、60年代に書かれた小説だったら、こういう感じ方はしないはずだ。)この「違い」は、主に人間関係=コミュニケーションのありかた、人間同士の距離のとりかたに表れているのではないだろうか。前の夜にセックスをした相手が突然失踪してしまい何ヶ月も連絡がないままだったり、その後再会して元通りになったりするというシチュエーションは、21世紀の世界ではちょっと考えにくい。もちろん、現代には携帯電話やメールといった通信手段が普及しているからでもあろうが、ある日突然誰かと連絡が取れなくなるというのは、偶発的な事故は別としても、現在だったら拒絶あるいは無視といった何らかの意図をもった行為として理解されるべきものだからである。

 ところで、久しぶりに本棚から取り出したこの本を読んでいて、おかしなことに気づいた。ページの何か所かに妙なクセがついているのである。なんと表現したら良いのだろう。本を開いて伏せて置き、上から踏みつぶしたような(いやそんなにひどくはないのだけど)、そんな感じの折り癖がついていたのだ。僕はそういう本の読み方はしないし、たまに取扱いを失敗することはあっても、この本に関してはそのような記憶はない。つまり、僕以外の誰かがこの本を読んだということになるが、犯人はわかっている。息子だ。



ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
(2004/09/15)
村上 春樹

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ノルウェイの森 下 (講談社文庫)ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
(2004/09/15)
村上 春樹

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樋口一葉 『たけくらべ』

2009.02.14 [ Edit ]

 樋口一葉 『たけくらべ』 は明治28〜29(1896〜97)年に発表された小説である。

明治の少女恋愛小説

 美登利は吉原の花魁の妹。自身も近く花魁デビューの予定である。同じ学校へ通う信如(のぶゆき)は寺の息子。小心者で不器用だが、頭は優れている。夏祭りの日、信如の属する少年グループが喧嘩をしに来て、美登利の仲間の三五郎を殴っていった。(しかし、その喧嘩に信如は加わっていなかったことが読者には示されている。)
 秋雨の夜、仲間の正太と美登利がいつも集まる 《筆や》 で遊んでいると、足音がする。誰だろうと思い、正太が外に顔を出すと、そこには信如の後姿があった。

 信さんかへ、と受けて、嫌やな坊主つたら無い、屹度筆か何か買ひに來たのだけれど、私たちが居るものだから立聞きをして歸つたのであらう、意地惡るの、根生(こんじやう)まがりの、ひねつこびれの、吃(どんも)りの、齒(はッ)かけの、嫌やな奴め、這入つて來たら散々と窘(いぢ)めてやる物を、歸つたは惜しい事をした、どれ下駄をお貸し、一寸見てやる、とて正太に代つて顏を出せば軒の雨だれ前髮に落ちて、おゝ氣味が惡るいと首を縮めながら、四五軒先の瓦斯燈の下を大黒傘肩にして少しうつむいて居るらしくとぼ/\と歩む信如の後かげ、何時までも、何時までも、何時までも見送るに、美登利さん何うしたの、と正太は怪しがりて背中をつゝきぬ。

 強調部引用者)


 恋のはじまりである。いや、それまで意識すらしていなかった思いが急にこみ上げてきて、自分の気持ちを持て余してしまったのかもしれない。上の引用箇所は長いセンテンスだが、この一文の中に、主人公の心境の変化をこれでもかという風に描いている。特に、「何時までも、何時までも、何時までも見送るに」 という三度も繰り返されるフレーズを読むと、ぐっと引きこまれていくのだ。数え十四歳の少女の心理をこんなに切々と描いた小説を、僕はほかに知らない。

 このあとも、美登利と信如の近づく機会はあるのだが、二人は言葉すら交わせないままである。花魁初仕事の近づいた日から、美登利は不機嫌となり、友達の誰とも遊ばなくなるが、これは恋の病であろう。

……人は怪しがりて病ひの故かと危ぶむも有れども母親一人ほゝ笑みては、今にお侠(きやん)の本性は現れまする、これは中休みと子細(わけ)ありげに言はれて、知らぬ者には何の事とも思はれず、女らしう温順しう成つたと褒めるもあれば折角の面白い子を種なしにしたと誹るもあり……


 ちゃんと彼女の母親にはばれていて、あたたかく見守られているのである。(不機嫌になったのは身体を売ったためという説があるそうだが、母親の言葉や態度を読めばそういうニュアンスのものではないことは一目瞭然であろう。)
 そして、結末は信如が僧侶になるための学校へ入る日、美登利の家の前にそっと水仙の造花を置いて去る場面。かっこよすぎる。美しく儚い恋の終わりである。

『たけくらべ』 の音楽

 章が変わるごとに挿入される季語が、時間の経過を表しているのと同様、ほとんどの章に 《音楽》 が流れているのが本作の特徴である。祭囃子の喧噪、廓から聞こえる三味線の音、子供たちのうたうわらべ唄、正太が口ずさむ流行り唄など、賑やかな街を常に BGM が包んでいて、この作品世界を明るくあたたかなものとしている。まるでミュージカルのような光景なのである。
 同じく一葉が書いた 『にごりえ』 には、銘酒屋の客と女たちの歌声が不快なノイズとなって響き、主人公・お力を狂わせてしまう場面がある。『たけくらべ』 とは正反対の印象を与える描写だが、《音楽》 をきわめて効果的に用いている点は共通する。
 一葉の音楽についてのセンスはずば抜けており、同時代の日本の男性作家には決して成しえなかった独特の個性を発揮しているといえよう。

『たけくらべ』 の魅力とは

 音楽ばかりでなく、さらに背後には大人たちの会話や噂話なども書かれていて、本作が決して 《子供の世界》 だけを表したものではなく、その向こう側にある厳しい現実、大人の世界をも描いていることを忘れてはならない。
 樋口一葉の小説は決して読みやすいものではない。それは文語体で書かれているからばかりでなく、さりげない言葉の使い方や、背後に描かれる重層的な作品構造のためであろうと思う。

 『たけくらべ』 を昨日から続けて、三度も読みかえしてしまった。
 美登利の母親の持つあたたかな視線は、一葉の作品の多くに共通する視点でもある。登場人物をみつめる作者の眼差しは常にあたたかさを感じさせる。そのあたたかさこそが、彼女の小説の最大の魅力なのだと思う。
 何度読んでも面白い小説である。



にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)
(1949/06)
樋口 一葉

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『林真理子の文章読本』

2009.02.07 [ Edit ]

※本記事は、2005年12月に書いたものを加筆しました。



 『林真理子の文章読本』 という、短いけれども、非常に面白い作品(本文わずか38ページ)を読んだので、紹介してみたい。

文章読本とは何か

 「文章読本」という題名を冠した本は、昔から多くの作家によって書かれている。
 有名処は以下のとおり。(カッコ内は、発表年。)

 谷崎潤一郎 『文章讀本』 (1934年)
 川端康成 『新文章読本』 (1950年)
 三島由紀夫 『文章読本』 (1959年)
 丸谷才一 『文章読本』 (1977年)
 井上ひさし 『自家製 文章読本』 (1984年)

 ほかにも、まだあるかもしれない。また、異なった題名で、同様の主題を扱った書籍を挙げれば、キリがない。しかし、「文章読本」 という題名を持つ本のみに共通する点がいくつか見られ、まるで文学の世界に 「文章読本」 という一つのジャンルが形成されているかのように見受けられる。それらの共通点を挙げてみよう。

▼「良い文章とは何か」 という明確な主題を持った随筆・評論であること。
▼いわゆる評論家が書いたものではなく、小説をはじめとする創作の分野で成功を収めた大作家による著作であること。
▼最初に著した谷崎を除けば、ほぼ全てが、賞賛も批判も含め、先達の書いた 「文章読本」 への言及を行っていること。
▼「文章読本」 を著した本人の、「文章を書くこと」 についての考え方、姿勢、取り組み方などが書かれているため、読者にとって、作家とその作品を知るための手掛かりとなるものであること。(逆に、他の作品を読んでいないと、さっぱりわからないほど、難解なものも多い。)
▼「文章術」 といった技術論的なことが書かれているにもかかわらず、いわゆるハウツー本とは一線を画していること。(これらの書物を読んだとしても、文章が上達するわけではない。)

『林真理子の文章読本』 について

 『林真理子の文章読本』 は、当初、雑誌 『婦人公論』 2003年4月7日号の別冊付録として発表された。現在、本作は、『林真理子の名作読本』 (文春文庫・2005年10月刊)に収録されている。


林真理子の名作読本 (文春文庫)林真理子の名作読本 (文春文庫)
(2005/10/07)
林 真理子

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 文庫版 『林真理子の名作読本』 は、二つの章から構成され、本書の大半を占める一章が 「林真理子の名作読本」、二章が 「林真理子の文章読本」 となっている。ちなみに、一章のほうは、古今の名作文学についての書評集になっていて、二章とは内容的に直接の繋がりはない。

『林真理子の文章読本』 の特徴

 本作は、きわめて短い作品であるにも関わらず、「文章読本」 の共通点として先に述べた事柄をほぼ網羅している。しかも、著者の他のエッセイ同様、非常に読みやすく書かれている。
 また、谷崎・三島といった古典を引用する一方、村上龍、よしもとばなな、宮部みゆきといった現代の作家や作品に言及している点、現代的な 「文章読本」 になっている。
 さらに、本作の特徴は、新聞・雑誌などの投稿欄、即ち、素人の書いた文章を槍玉に上げ、悪い文章のお手本として酷評している点である。
 プライドが異様に高く、高飛車な態度で歯に衣着せぬ物言いは、著者のエッセイの特徴だと思うのだが、そういった処にカチンとくる読者も多いかもしれない。しかし、雑誌等への投稿を行っている方や、ブログ等で自分の文章を公表している方にとって、いろんな意味で、ためになることが書かれていると思う。もっとも、酷評されている素人の投稿の例(全て架空のものだが)を読んで、手放しで 「そのとおり!」 などと叫んでいる場合ではないのだ。この記事を読んでいるあなたも、そして僕も、批評の対象とされているからである。

 現代は、物事の移り変わりが恐ろしく速い時代である。
 本作は、わずか2年前に発表されたものだが、すでに古いと感じさせる部分もある。それは、この2年の間に、ブログが流行・普及し、自分の文章を発表する人間が、爆発的に増えたことに因るものである。
 本作は、女性雑誌の付録という形で発表されたためか、あるいは雑誌の読者の年齢層を考慮したためなのか、インターネットに関する言及が皆無である。ウェブ上に文章を発表する“素人”が、爆発的に増加しつつある現在だったら、もう少し違った物の見方があるのではないか。そういった点について、林真理子氏だったら、あるいは、他の作家諸氏だったら、どう考えるのか、興味の尽きないところだと思う。



【あわせて読みたい】

文章読本さん江 (ちくま文庫)文章読本さん江 (ちくま文庫)
(2007/12/10)
斎藤 美奈子

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 上に挙げたような大作家による 「文章読本」 に限らず、古今の文章指南本を槍玉にあげ、片っぱしからぶった切る痛快な評論。元ネタの本を読んでみたくなるという点では、ピカ一かもしれない。

はてブのタグを整理しよう

2009.02.05 [ Edit ]

はてなブックマークのお気に入り設定を大幅に見直しました - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
はてブのタグ整理中 - Y u k i p e d i a

 上のリンク先記事はどちらも 「ブックマークの整理・見直し」 という話題ですが、今回はタグの整理について思ったことなど。

タグは必ずつけよう

 ソーシャル・ブックマークは使い続ける間に、どんどんたまっていくものです。後から参照しようと思ったときに、タグがついていないブクマはまず探し出せなくなりますし、全く役に立たなくなってしまいます。
 最初からブクマは使い捨て、と割り切る場合を除けば、タグをつけるのは必須だと思います。どんなタグをつけたら良いかわからないような場合でも、とりあえず仮のタグ [これは仮] みたいなのをつけておきましょう。タグはあとから変更できるんですから。

複数のタグを並べると便利

 たとえば、[ニコニコ動画] と [ゲーム]、[YouTube] と [music] といった具合に、複数のタグを並べて使うと、後から参照するときにすごく便利になります。
 それから、はてなのヘルプに書いてあったはずですが、タグの名前を編集するときに、一つのタグを複数に分割することができます。たとえば、[北京オリンピック] というタグを [北京] と [オリンピック] に分割したいときは、

 北京][オリンピック

と記述します。

同じようなタグは統合しよう

090204.jpg
 上のキャプチャ画像は、Britty さんのブックマークから勝手に拝借したものですが、似通ったタグがたくさんあるようです。もちろん、ご本人がそれぞれ使い分けているのであれば、これでも構わないのですが、気付かないうちに増えてしまったというような場合は、整理・統合すると使い勝手が良くなるのではないでしょうか。
 ちなみに、僕の場合は、[揉め事] と [揉み事] ははっきり使い分けていますので、統合するつもりはありません。

 みなさんも、タグを使いこなして、はてブの達人を目指してみませんか?

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