『文學界』 インタビュー 水村美苗×鴻巣友季子 「日本語は亡びるのか」
2008.12.10 [ Edit ]

『文學界』 2009年1月号に掲載されたインタビュー 水村美苗×鴻巣友季子 「日本語は亡びるのか」 を読んだ。
インタビューされるのは、エッセイ 『日本語が亡びるとき』 で一躍“時の人”となった作家・水村美苗、聞き手は翻訳家・鴻巣友季子である。(実は鴻巣さん、僕にとっては古いジャズ友達だったりする。)
この顔合わせはすごい。最近の人にはちょっとわかりにくいかもしれないが、二人ともかたや日本近代文学の、かたや英米翻訳文学の歴史と看板を背負っている著名人なのだ。また、二人の共通点は、19世紀イギリス文学の大傑作、エミリー・ブロンテの 『嵐が丘』 である。水村の著した 『本格小説』(2002年発表) は、本人が 「『嵐が丘』のような小説を書きたいという気持」 をもって書いたと述べている(参照リンク)し、鴻巣はまさにその 『嵐が丘』 (新潮文庫・2003年刊)を翻訳したのである。
同日に発売された 『新潮』 1月号には、水村美苗と梅田望夫の対談が掲載されているが、あちらはどちらかといえば理系読者向け、こちらは圧倒的に文系読者向けの内容となっている。
インタビューの内容はおおざっぱにいえば、『日本語が亡びるとき』 に書かれていることをわかりやすく解説、再確認したものだが、鴻巣は翻訳家という立場からさらに鋭く切り込んでいく。例えば、水村の著書には、「西洋語に訳された日本文学を読んでいて、その文学の善し悪しがわかることなど、ほとんどありえないのである。」 と書かれている。このような 《翻訳》 をほぼ全否定するかのような主張に対し、鴻巣は次のように問いかける。
鴻巣 原文と翻訳は別物だという考え方もありますね。水村さんは本書の中で固有の文体をもつ〈テキスト〉と一般化された〈テキストブック〉の違いだとおっしゃっていますが、〈テキスト〉を一字一句読まなければ、本当の読書体験ではないということであれば、翻訳というのは疑似体験に過ぎないということになるのでしょうか?
水村 でも翻訳者がよければ、別の体験ができるわけです。例えばバーネットの『小公子』や『小公女』は、英語と日本語訳と両方で読みましたが、私は日本語訳の方がよかったと思いました。
鴻巣 若松賤子さんの訳は格別ですね。明治二十年代ですでに技術的にも現代翻訳と変わりません。
水村 だから、翻訳には別の機能があって、〈テキスト〉がさらによい〈テキスト〉になるということもあり得るでしょう。
鴻巣 それを聞いて少し安心しました(笑)。(後略)
水村の答えは翻訳文学に対するフォローになっているとはとても思えないし、「少し安心」 どころか、こういう受け答えははらはらどきどきする。
若松賤子 (1864〜1896) というのは、明治20年代に 『小公子』 を翻訳した女性翻訳家であり、彼女については鴻巣が著書 『明治大正 翻訳ワンダーランド』 (新潮新書) で詳しく紹介している。このあたりのジャンルに関しては、鴻巣のほうがはるかに専門家なのだ。(それにしても、具体例が古いですな。)
それはさておき、こういう知的なインタビューでは著書では語られないユニークなエピソード、とんでもない発言が飛び出したりするので、目が離せない。
鴻巣 (中略) 日本ではスピーキングが近年重要視されているように思いますが、水村さんのおっしゃるように、じつは世界のコミュニケーションの大きな流れは逆を向いている気がします。まずは、読み書きが重要なのではないか。
水村 まずは、読む能力ですね。読めれば書けるんですよ。私もアメリカで途中から育ったため、手紙以外、日本語は書いたことがなかったわけです。でも日本語の小説を読んでいたので、不自由なく『贖明暗』という小説が書けた。
そこまで言うか!という驚きと、読んだだけで小説が書けるなら誰も苦労しないだろうとつっこみたい気持ちが半ばである。『贖明暗』 (1990年発表)は、夏目漱石の未完の小説 『明暗』 の続編を水村が書いたものだが、おそらく日本文学史上唯一、文学賞を受賞した “二次創作小説” ではないだろうか。小説としての評価は避けるが、水村の文章は非常に読みやすく、美しい日本語で書かれており、文章家としての才能はきわめて優れていると思う。
まとまらない感想になってしまった。
『文學界』 の巻末には、相馬悠々という人のコラム 「鳥の眼・虫の眼」が掲載されていて、そこでも 『日本語が亡びるとき』 が取りあげられている。ユーモラスな文章なので、興味のある方は書店で手に取っていただきたいと思う。
【関連リンク】
asahi.com(朝日新聞社):日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で [著]水村美苗 - 書評 - BOOK
朝日新聞に鴻巣による書評が載ったのが、11月16日。『文學界』 のインタビューは、「11月10日収録」 と書かれている。どちらが先なんだろう? ちょっと気になったりする。
FETISH STATION - 水村美苗 『日本語が亡びるとき』
こちらは先日、僕が書いた記事。辛辣な書き方だけど、水村の小説は嫌いじゃないです。
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まだまだ続きそうです。
by 蟹亭主
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