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From Tokyo to the world.

重松清 『疾走』

2008.11.30 [ Edit ]

 知り合いの牧師が、「人生の幸せと不幸せをトータルすると、プラスマイナスゼロになる」 というようなことを言っていたのだけれど、そんなことはないんじゃないかと思う。
 旧約聖書 『ヨブ記』 の主人公ヨブは、神の試練にあい、これでもかというほどの不幸を抱えている。最後には神の前に懺悔し、幸せを取り戻したと書かれているのだが、最初に死んだ 七人の息子と三人の娘が帰ってくるわけではないのだ。では、ヨブにとっての幸せとは何か。それは 『ヨブ記』 に書かれたテキスト=彼の人生そのものなのではないか。聖書の中に名を残すことによって、彼の人生は初めて意味を持つに至ったのではないか。

 『ヨブ記』 の主人公を1980〜90年代の日本を舞台によみがえらせた重松清 『疾走』 (2003年発表)は、ひたすら重苦しい小説だ。いじめ・差別・暴力・セックス・裏切りといったあらゆる身体的・精神的苦痛を伴う描写が延々と続くのである。田舎の小さな街に生まれ育った主人公シュウジは、ヨブさながらに次々とひどい目にあう。果たして、彼の生に意味はあるのか。死によって、生を意味づけるのはアリなのか。今の僕には答えが出せずにいる。

 田舎の街の 「沖」 と呼ばれる地区に、教会がある。そこの 「神父」 が重要な役回りを演じているのだが、なんだかおかしい。教会というものは、元々単独で建てられたりするものではなく、必ず母体となる組織(教団・教派)が存在するはずのものである。そういった背景が存在しえないようなこの教会の状況は、現実のキリスト教会とはかけ離れている。
 彼はもぐりの 「神父」 ではないのか。別にもぐりであっても構わないのかもしれないが、「神父」 と薄倖の少女エリはデキている、と考えないと、辻褄のあわないストーリーになっているのは確かである。
 とまあ、読みながら、読み終わってから、生理的・心理的に不愉快になってしまう小説なのだけれど、途中でやめることもできないような不思議な本だと思った。


疾走 上 (角川文庫)疾走 上 (角川文庫)
(2005/05/25)
重松 清

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疾走 下 (角川文庫)疾走 下 (角川文庫)
(2005/05/25)
重松 清

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ひまわり

2008.11.29 [ Edit ]

081129_02.jpg



 仕事関係でお世話になっているRさん夫妻の仕事場を訪れたのは、7月も終わりに近い日の午後だった。
 Rさん夫妻は、数年前からこの場所で住み込みのビル管理人の仕事をしている。僕が訪問した日は、奥様が不在で、冷たい麦茶と奥様お手製の漬物を、Rさんが出してくれた。

 仕事の用件が終わり、そろそろ引き上げようかというところで、夕立が来たため、少し雨やどりをさせてもらうことにした。
 窓から外を眺めると、ビルの駐車場とその向こうにコンクリートの塀が、雨に濡れていた。
 去年までは、毎年、塀づたいにひまわりが植えられ、今の時期には大輪の花が隣家を覗き込む風に咲いていたものだが、今年はひまわりが植えられていなかった。

 「女房の父親が入院しましてね。末期の癌だっていうんですよ。もう年なので、手術するかどうかもわからない状態なんですが、女房がずっと病院に通いつめているところなんです」

 Rさんは、額の汗を拭い、煙草に火をつけた。

 雨が止んだので、僕は暇乞いをし、外に出た。
 塀の上に、虹が出ていた。


 秋の風が吹き始めた9月上旬、僕はRさん夫妻の仕事場を再び訪れた。この日も、あいにく奥様は不在で、結局、お父様の様態などについて窺うことは出来なかった。
 仕事の話を一通り済ませたあと、僕とRさんはどちらからともなく、昔話を始めた。
 サラリーマンとして猛烈に働いた若い頃のこと。結婚した頃のこと。子育てのこと。転勤を繰り返したこと。

 すっかり、話に夢中になり、気がつくともう夕方になっていた。
 帰りしな、ふと足元を見ると、玄関の脇の目立たないところに、小さな鉢植えのひまわりが咲いていた。


081129_01.jpg



 「今年も咲いたんですね」

 僕がそう言うと、Rさんはにっこりと微笑み、会釈をした。
 僕も笑顔と会釈を返してから、帰路についた。



※フィクションです。


太宰治 『晩年』

2008.11.24 [ Edit ]

「晩年」は、私の最初の小説集なのです。もう、これが、私の唯一の遺著になるだろうと思いましたから、題も、「晩年」として置いたのです。
 読んで面白い小説も、二、三ありますから、おひまの折に読んでみて下さい。

 太宰治 「晩年」に就いて - 青空文庫



『晩年』表紙   『葉』

 昭和23年刊行の新潮社版 『晩年』 を入手した。(上の画像)
 『晩年』 が最初に砂子屋書房から出版されたのは昭和11年のこと。新潮文庫になったのは昭和22年のことである。
 この古書は、奥付に「昭和廿三年七月卅日發行」と印刷されている。太宰が亡くなった翌月のことだが、当時ベストセラーになった 『斜陽』 の人気にあやかった復刻版なのではないかと思う。終戦後の本なので紙質が悪く、乱暴にページをめくると紙が破れてしまいそうだ。こういうのは丁寧にゆっくりと読み返したいものである。

「晩年」お読みになりますか? 美しさは、人から指定されて感じいるものではなくて、自分で、自分ひとりで、ふっと発見するものです。「晩年」の中から、あなたは、美しさを発見できるかどうか、それは、あなたの自由です。読者の黄金権です。だから、あまりおすすめしたくないのです。わからん奴には、ぶん殴ったって、こんりんざい判りっこないんだから。

 太宰治 「晩年」に就いて - 青空文庫


 引用した 『「晩年」に就いて』 は太宰による自著の紹介文だが、冒頭のあたり、やけに腰が低いのに対して、最後のほうは 「ぶん殴ったって、こんりんざい判りっこない」 などとキレかかっていて面白い。

 さて、『晩年』 はのちに大作家となる太宰治のインディーズ時代の集大成である。「晩年」 という題名の小説はなく、作品集のタイトルとしてつけられたものであり、その理由は上に引用したとおりだ。収録された15編の短編小説は、明るいものあり、暗いものあり、自伝風、メタフィクション、時代もの、民話風、ファンタジー風と非常に幅が広い。一つひとつの作品の内容やテーマに一貫性があるわけではないが、最初の 『葉』 と最後の 『めくら草紙』 はストーリーのない断章を集めたものとなっており、全体を通読すると、きちんと構成された本になっていることがわかる。
 また、でたらめにページを開いて、適当な箇所から読み始めてもそれなりに面白く、すっと作品世界に引き込まれていくのが、本書の特徴だ。『思い出』 という作品の中に、少年時代の主人公が夜遅くに目を覚まし、囲炉裏端の祖母の話に聞き耳を立てる場面が書かれているが、まさにそういう感覚を読者も味わうことができるのである。これは 《語り》 の面白さなのだと思う。

 『晩年』、お読みになりますか?



晩年 (新潮文庫)晩年 (新潮文庫)
(1947/12)
太宰 治

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水村美苗 『日本語が亡びるとき』

2008.11.16 [ Edit ]

水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。 - My Life Between Silicon Valley and Japan

 作家・水村美苗によるエッセイ、『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』 を読んだ。本書を知るきっかけとなったのは、上記、梅田望夫氏のエントリだが、新刊本をめったに読まない僕がこの本を購入した理由はただ一つ。水村が漱石オタク(研究家ではない)だからだ。
 僕も漱石が好きで、最近、漱石の主要な作品全てに関する記事を書き終えたばかりである。(漱石三読〜まとめ編参照。) 夏目漱石に関する書籍は星の数ほどあるが、一体現代の作家がどんな風に漱石を読んでいるのか、どんな言葉でそれを表しているのか、興味があった。そして、その点において本書は期待に違わぬ内容のものであった。

「亡びる」という言葉について

 本書のタイトルになっている 「亡びる」 という語は、何度も引用されている 『三四郎』 の登場人物、広田先生のセリフ、「亡びるね」 からとられている。非常にインパクトのある箇所なので記憶に残っているし、実際、僕もこの場面を引用したことがあるのだけれど、違和感があった。
 あれ? 「滅びるね」 じゃなかったっけ?
 気になって仕方がないので、図書館へ行って調べてみたところ、岩波書店の 「漱石全集」 およびそれを底本とする何種類かは 「亡びる」 、新潮と角川は 「滅びる」 表記であった。漢和辞典をひくと「亡」 も 「滅」 も同じような意味が書かれているが、「滅」 のほうには 「火の消えるようにあとかたなく消滅すること」(角川漢和中辞典) とある。どちらでも良さそうなものだが、本書の書名に関していえば、「亡びるとき」 が妥当である。日本語はあとかたもなく消滅したりするわけではないのだから。

水村は漱石が好きすぎる

 本書の中盤以降、繰り返し語られる漱石の 「読み」 は素敵である。こんな風に漱石の小説を読みかつ語ることができるのは素晴らしいことだと思う。“敵の懐に入り込む” という言い回しがあるが、水村の場合、懐どころか祖父の膝の上に抱かれて笑みを浮かべる幼児のようですらある。
 しかし、『三四郎』 を読んだことのない読者が本書を読んだ結果、『三四郎』 を読んでみたいと思うだろうか。同じく書中で言及されている 『福翁自伝』 の紹介の仕方が非常に巧いと感じるのに対し、『三四郎』 に関しては著者の思考がテキストに密着しすぎていて、わかりにくいものとなっていると思わざるを得ないのである。偉大な祖父の話をほかの誰かにきいてもらいたいと思うならば、まず自分が心地よい膝の上から降りなければなるまい。

「日本近代文学」って何?

 日本の国語教育はまずは日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである。


 日本語の 〈国語〉 としての成り立ちと歴史について延々と語り、そこから現代の国語教育へと論をすすめるやや強引な物言いだが、この論自体はそれなりに納得のいくものではある。しかし、水村のいう 「日本近代文学」 とは何を指しているのか。
 彼女が示す 「日本近代文学」 とは、「明治、大正、昭和初期」 のそれに著しく限定される。小説作品でいうと、二葉亭四迷 『浮雲』 (明治22年未完) から谷崎潤一郎 『細雪』 (昭和23年完結) までである。この 「日本近代文学」 と対照されるのが、〈大衆消費社会〉 における 〈文化商品〉 としての現代小説 (具体的に挙げられているのが 『ハリー・ポッター』) だ。つまり、両者の中間がすっぽりと抜け落ちているのである。
 「明治、大正、昭和初期」 というのは、大作家を輩出した時代であり、日本文学史上、最も重要な作品を生み出した年代であるのは確かである。だが、その時代のみを称揚するあまり、その後に続く戦後60年にわたる文学の歩みを、批判するのであればまだしも、完全に無視するというのはどうなのか。(三島、川端、大江については 「翻訳され海外で紹介された」 というのみ。太宰に至っては名前すら出てこない。)
 「明治、大正、昭和初期」 と現代との間につながりがないとしたら、「日本近代文学」 は過去の遺物になってしまうのではないか。著者の主張する 〈国語〉 は “昔の言語” にすぎないものとなってしまうのではないか。「日本近代文学」 と現代とのつながりについて語らなければ、水村の国語教育に関する主張自体が古めかしいもの、時代錯誤のものとされてしまう可能性は大きい。著者が書かなかったことを求めるのはないものねだりだが、このことに関しては自分の首を自分で締めるようなものなのである。

 漱石をはじめとする国語の祖父は、全く偉大な存在である。しかし、祖父の言葉を聞くのに、彼の膝に抱かれる必要はない。むしろ、正面に座り、傍らに跪き、あるいは教室の後ろの席で話を聞くほうが、彼の言葉を自分のものとし、今度は自分の言葉で語ることができるようになるのではないか――と僕は考えるのである。


日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
(2008/11/05)
水村 美苗

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劇団四季 『キャッツ』 を観た

2008.11.09 [ Edit ]

劇団四季 作品紹介(ステージガイド) キャッツ

東京キャッツシアター(五反田)の公演が来春で終わってしまうらしいので、観に行って来ました。

キャッツって、どんなミュージカル?

・都会のゴミ捨て場に集まる猫たちの群像劇で、人間は登場しません。
・ストーリーらしいストーリーはほとんどなく、ひたすら猫が歌い踊ります。

キャスト

・普通のミュージカルは、歌チームとダンスチームに分かれているのが多いのだけど、キャッツはほぼ全員が歌いながら踊っています。
・その数約30名。すごい迫力ですよ。

音楽

・作曲のアンドリュー・ロイド・ウェーバーは、「エビータ」や「オペラ座の怪人」で有名な人だけど、「キャッツ」の楽曲は変拍子が多くてノリにくい。
・劇場ではテープ使用。
・バンド・サウンドはプログレ風。
・「メモリーズ」は有名な曲ですね。

メイクとコスチューム

・猫メイクは京劇か歌舞伎風。
・コスチュームはユニタードの上に、ゴテゴテとした飾りがたくさんついているので、体の線が見える人は少ないです。
・というわけで、フェチ度低め。(タイツが目当ての人は、クラシック・バレエのほうが良いと思います。)
・あと、茶色のお猿さんみたいな人がいましたね。あれ、かわいいですね。
・ワイアレス・マイクはどこに仕込んであるんだろう? かつらの中でしょうか?

猫は汗をかかない

・あんなに激しく踊っているのに、全く汗をかいているようにみえないんですよ。
・カーテンコールのときに、猫のおねえさんが客席にやってきて握手したんですが、手が冷たかったですし。


ミュージカル『キャッツ』プロモーションVTR


ステージだけでなく、劇場全体にいろんな仕掛けがあって、なかなか楽しめました。

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