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From Tokyo to the world.

志賀直哉 『剃刀』

2008.07.30 [ Edit ]

 志賀直哉の短編小説 『剃刀(かみそり)』 は、明治43(1910)年に発表された。
 風邪をひいて熱に浮かされた床屋の主人がだんだんと精神的に追い詰められ、最後には剃刀で客の咽を切って殺してしまうというストーリーで、今日的な言葉でカテゴライズすれば心理サスペンス、サイコ・ホラー(しかもスプラッター)に相当する作品だ。
 簡潔な情景描写、端正な文章を特徴とする志賀直哉だが、後年の私小説とは異なり、ごく初期の頃に執筆された本作は、ストーリーと主人公の心理描写が魅力になっている傑作である。
 本作には、オカルト的な現象は一切登場しない。また、妄想・幻覚などの要素は全く排除されている。あくまでも、日常的な現実の中に起こる小さな出来事の積み重ねによって、主人公の精神が犯されていく様子が、読者に不安と恐怖を与えるのである。

 芳三郎は殆ど失神して倒れるように傍(かたわら)の椅子に腰を落した。総ての緊張は一時に緩み、同時に極度の疲労が還って来た。眼をねむってぐったりとして居る彼は死人のように見えた。夜も死人の様に静まりかえった。総ての運動は停止した。総ての物は深い眠りに陥った。只独り鏡だけが三方から冷やかにこの光景を眺めて居た。


 上の引用箇所は本作の結末部分である。「只独り鏡だけが三方から冷やかにこの光景を眺めて居た。」 という最後の一文は、この物語を主観から客観へ、絶対から相対へと導いており、見事というほかない。


清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)
(1968/09)
志賀 直哉

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 『剃刀』 は、『清兵衛と瓢箪・網走まで』 (新潮文庫)に収録されている。本文わずか11ページの短い作品なので、書店で見かけたら立ち読みでもかまわないから手にとっていただきたいと思う。

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20年前の非モテについて考える

2008.07.29 [ Edit ]

20年前の非モテの叫び、お届けします。

『究極のムカツキ女―こんな女に悩まされていませんか!! 』 月刊アクションカメラ編集部・編 ワニマガジン社――というトンデモっぽい本のレビューが(まだ前編だけど)すごく面白かったので、とり上げてみたい。
ちなみに、僕はバブル世代よりも少し上の年代に属し、青春時代にいわゆる“バブルの恩恵”にあずかった経験はない。でも、当時がどういう時代だったのか、なんとなく記憶に残っている。そんなオヤジの昔話だと思って読んでいただければ幸いである。

まず、20年前の非モテの叫び、お届けします。を一読すればわかるとおり、『究極のムカツキ女』 という本には、童貞が登場しない。「ホテルまでついてきて」 という記述があるように、セックス経験済みが前提となっている。「モテない」、「彼女ができない」 といった悩みをもつ“非モテ”はここには存在しないのだ。また、ネタにされている女性は、“彼女”ではなく、あくまでも遊びの対象としての“女”である。
そのあたりを考えると、本書はスポーツ新聞や男性週刊誌のノリで書かれたものではないかと想像できる。(僕はこの本を読んだことはないので外していたら申し訳ないが、当時はこの手の本がたくさん出ていたように思う。)

以下、長くなりそうなので、箇条書き。当時20代、都内私大出身サラリーマンの観測範囲での話である。

  • 当時は、相手を選ばなければとりあえずセックスできた。
  • セックスに対するハードルが現在よりも低かったのだと思う。
  • セックスの相手は、恋愛対象とは別物だった。(彼女がいなくても、セックスする男は普通にいた。)
  • しかし、セフレというのともちょっと違う気がする。(セックスの相性みたいなのを気にしなかったのかもしれない。)
  • もちろん、モテない男だっていたわけだが、「モテない」 悩みを他人と共有するなんてことはなかった。
  • モテるモテないに関わらず、田舎に帰って見合いすれば結婚できた。(当時の友人男性は全員が30歳までに結婚した。)
  • 田舎で思い出したが、ここまでに書いた話は都市部限定かもしれない。
  • 最終的に結婚することは決まっているので(というか避けられないので)、相対的に 「彼女がいる」 ことのステータスはそんなに高くはなかった。「おまえ、そろそろ彼女作れよ」 なんて言うヤツはいなかった。
  • もっとも、女性のほうは恋愛に対する憧れが強かったと思う。憧れが強いということは、恋愛の経験が少ないということでもある。
  • 最終的に結婚するのだから、童貞をこじらせたりする男はほとんどいなかった。そのかわり、バツイチに対する風当たりはそれなりに強かった。

大学の頃、クラスコンパでディスコに行ったりした当時のことを思うと、懐かしい気持ちになる。
でも、今に比べて昔のほうがよかったとは、これっぽっちも思わない。女性とつきあう上で、精神的なつながりを軽視する傾向が強かったからだ。そういう状況に耐えられなかった僕は、ろくに 「遊び」 もせず、さっさと恋愛し、結婚したのである。

梶井基次郎 『檸檬』

2008.07.26 [ Edit ]

いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。


 檸檬の果実を表すのに 「レモンエロウの絵具」 という語句で形容するのはいかがなものか。

 梶井基次郎 (1901〜1932) の短編集 『檸檬』 が、今年の夏も書店に平積みで売られている。
 梶井の小説は淡々と心境を綴ったものが多く、ストーリーらしいものが全くない作品も多い。それでも、彼の本はいまだに多くの読者に読まれ続けている。
 僕は私小説的な文学作品は肌に合わないと感じるのだけれど、梶井の小説のいくつかは圧倒的な印象を残している。特に、冒頭に引用した 『檸檬』 や 『冬の蝿』 などは、果物、昆虫といったものの描写がずば抜けていて、視覚的なイメージを喚起する力を持っていると思う。

 『冬の蝿』 は、昆虫の死を目の当たりにした経験を通じて、自らの死と生を空想する小品であり、志賀直哉の名作といわれる 『城の崎にて』 と共通する主題を描いているが、主人公=語り手の心理描写の深さにおいて、『城の崎にて』 を遥かに凌いでいる。

 梶井基次郎は若くして肺結核を患い、31歳でこの世を去った。彼の小説のほとんどは生前、同人雑誌に発表されたのだという。梶井が文学的に高い評価を受けたのは、彼の死後のことなのである。
 現在、小説を書いている人々のうち、死後に評価される者はどれだけいるのだろうか。


檸檬 (新潮文庫)檸檬 (新潮文庫)
(1977/12)
梶井 基次郎

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笑わない男 ― 芥川龍之介

2008.07.24 [ Edit ]

 完璧な小説を挙げよ。――もしもこんな風に問われたら、僕はためらわずに芥川龍之介の 『藪の中』 と答えるだろう。
 『藪の中』 を初めて読んだのは学生の頃だが、そのときの衝撃は今でも記憶に残っている。完璧な構成、魅力的な語り口、不条理な結末。そのどれもが最高の物語だった。そして、結末を知りながら何度読み返しても必ず驚愕する、そういう風に出来上がっている小説なのである。

 国語の教科書に載っていて有名な、芥川の鋭い容貌を捉えた一枚の写真がある。他の写真も同様だが、彼は決して笑わない男だった。しかし、『藪の中』、『地獄変』、『奉教人の死』 などの作品を読んだ者の驚嘆ぶりを想像して、作者は一人ほくそ笑んだのではないか。芥川の本を読んだ後、例の写真を見ると、ニヒルな表情の向こうにそんな余裕さえ感じるのである。
 しかし、芥川の晩年の小説からは、そのような“内心の笑み”が消えている。本心を吐露するようになった、ということなのかもしれないが、『玄鶴山房』、『河童』、『或阿呆の一生』 といった昭和の作品はあまりにも痛々しく、読んでいてつらいものがある。

 昭和2年7月24日、芥川龍之介自死。
 面白い小説をもっと読ませてもらいたかった。

 八十一回目の河童忌に記す。



地獄変 (集英社文庫) (集英社文庫)地獄変 (集英社文庫) (集英社文庫)
(1991/03/20)
芥川 龍之介

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 芥川龍之介の作品は多くの出版社から文庫本が出ているが、とりあえず1冊読みたいという場合は集英社文庫をお勧めする。作品の選択もベストだし、ページ数の割に値段が安いのが特徴である。

夏目漱石 『道草』

2008.07.24 [ Edit ]

 夏目漱石の 『道草』 は、大正4(1915)年に朝日新聞に連載された。小説としては前年の 『こころ』 の次の作品にあたり、新聞連載としては同年に掲載された随筆 『硝子戸の中』 に続くものである。
 内容は漱石自身の自伝的小説といわれており、時期としては明治30年代(年齢も30代)、漱石が英国留学から帰国したあたりから、『我輩は猫である』 執筆前後に至るまでの出来事を中心に書かれている。登場人物の多くは実在のモデルが存在し、しかも家族や親戚など身内の人間を登場させていて、しかも執筆当時、存命中の人々のことを書いているのが特徴だ。

 はっきりとしたストーリーらしきものはほとんどないのだが、作中の“現在”と主人公・健三(漱石自身がモデル)の幼少時代の出来事が交互に描かれている。しかも、現在・過去ともにとてつもなく暗い。漱石のネガティブな側面を全て集めたかのような小説である。
 登場する養父母、姉、兄、義父など身内の者が全員揃って次から次へと健三に金をせびる。とっくに縁を切ったはずの養父が接近してきたため、相談しに行った姉からも金をせびられたりする。愛情ではなく、金銭が人間関係の核になっているのだ。友人間での借金や金銭援助は、漱石作品に頻繁に書かれるモチーフだが、ここまでひどいものは他にないだろう。
 幼少時の回想場面も何やら暗い話ばかりである。本作には実母(漱石の母は幼少時に死亡した。)に関する言及が全くない。母の思い出話は、『硝子戸の中』 にポジティブに書かれているが、『明暗』 と 『硝子戸の中』 の両方を読まないとバランスがとれないというか、共感できる部分が少なくなってしまうのではないだろうか。

 本作でもう一つ重要なのは、健三の妻の存在である。夫婦の間の愛情、葛藤、温度差、距離感といった心理の描写は非常に巧みであり、深いものを感じる。特に当時珍しかったであろう立会い出産の場面は感動的である。

 『こころ』 で主人公を“明治の精神”に殉死させた漱石は、本作で自らの過去の総括を試みたのではないかと考える。大正という新時代を迎えた作者は、過去に区切りをつけ、次作 『明暗』 において、新しい時代、新しい思想に挑もうとしているように感じるからである。


道草 (岩波文庫)道草 (岩波文庫)
(1990/04/16)
夏目 漱石

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