ゼンタイのお尻
2007.12.31 [ Edit ]
「考える」ことと「出力」の間
2007.12.22 [ Edit ]
MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの?
「考える」方法を学ぶ:DESIGN IT! w/LOVE
「考える」って、どういうことなんだろう?という話。
「考えるのと出力するのは別の行為」だなんて言ったのは、僕なんですけどね。(ブクマコメント参照。)
「考える」方法の一つとして、紙や PC に書き出すというのは、仕事術としては正しいことなのだと思います。(そのほうが仕事してるように見えますしね。)でも、このやり方、「書き出し」がよほど得意な人じゃないと、うまく行かないのではないかと思うんです。少なくとも、僕は紙や PC に書き出しながら自分の考えをまとめていくなんて、到底出来そうもありません。
僕が書いた「出力」というのは、紙などに書き出すばかりでなく、「言語化する」行為に相当するものだと思っています。(図表を作成する、作曲する、絵を描くといった非言語的な行為を含めても良いかもしれません。)
ところが、「考える」ということの中には、言語化する以前の、頭の中で発生するモヤモヤとしたもの、言葉にならない段階のあれこれを含んでいるのだと思います。そして、この段階のあれこれというのはかなり重要で、だからこそ、「考えを寝かせる」とか「構想をあたためる」といったことが出来るようになると思うわけです。
僕は文章を書きながら考えをまとめるのが苦手で、ある程度、結論めいたものを考えてから書き始めます。「書き出し」にとりかかるのに時間がかかるんですね。その代わりに、「書く」ときには、言葉を選んだり構成を整えたりすることに集中しますので、書いている間に結論がぶれたりすることはほとんどありません。この記事を書くのだって、数日あたためてから一気に書き上げようとしているわけです。
僕は作曲をやるのですが、3分間の曲を1曲作るのに、ピアノに向かって30分くらいかかります。(もっと速いひともいるでしょう。)でも、いきなりピアノに向かうわけではなく、少なくとも数日間、曲のことを考えながら、全く違う音楽を聴いたり、本を読んだり、料理をしたりします。つまり、このとき「構想をあたためている」わけで、こういう時間が非常に重要なんです。だから、30分で1曲作れるからといって、300分で10曲作れるわけではありません。
一方、僕は絵を描くのが苦手なので、100時間与えられても、おそらく1枚も描けないでしょう。
こういうのは人による、あるいは才能やスキルによる、ということなのかもしれませんね。
音楽、絵画といった芸術分野の例を挙げましたが、芸術以外の仕事分野にも同じことがいえると思います。
若い人たちと仕事をしていると、いや若くなくてもあることですが、深く考えずに発言してしまう人をよく見かけます。
そういうとき、「おまえ、もうちょっとよく考えてから話せよ」と思ってしまいます。
自分一人で誰にも見せずに、紙や PC に書き出しているだけなら(いわゆる“チラシの裏”ですね)構わないのですが、まとまりのない、浅薄で未消化な意見を披露されても、困惑してしまうわけです。
ここでは具体例は挙げませんが、“脊髄反射”というネット用語(?)を想起すれば、どういうことなのかお分かりいただけるかと思います。
「出力」する前に、よく咀嚼し、何度も反芻し、じっくりと消化する(消化器系の比喩が多いですな)ことによって、立派なうんこより良いアウトプットが期待できるようになるのではないでしょうか。
「考える」方法を学ぶ:DESIGN IT! w/LOVE
「考える」って、どういうことなんだろう?という話。
その効率的な考え方というのが出力を増やす方法だと思うのです。
こう書くと「考える」のと「出力する」のが別の行為だなんていう人がいます。
でもね、「考える」のと「出力する」のが別の行為だなんていう認識が、そもそも「考える」という行為をむずかしくしちゃってるんじゃないかなと僕は考えます。
「考える」方法を学ぶ:DESIGN IT! w/LOVE
「考えるのと出力するのは別の行為」だなんて言ったのは、僕なんですけどね。(ブクマコメント参照。)
「考える」方法の一つとして、紙や PC に書き出すというのは、仕事術としては正しいことなのだと思います。(そのほうが仕事してるように見えますしね。)でも、このやり方、「書き出し」がよほど得意な人じゃないと、うまく行かないのではないかと思うんです。少なくとも、僕は紙や PC に書き出しながら自分の考えをまとめていくなんて、到底出来そうもありません。
僕が書いた「出力」というのは、紙などに書き出すばかりでなく、「言語化する」行為に相当するものだと思っています。(図表を作成する、作曲する、絵を描くといった非言語的な行為を含めても良いかもしれません。)
ところが、「考える」ということの中には、言語化する以前の、頭の中で発生するモヤモヤとしたもの、言葉にならない段階のあれこれを含んでいるのだと思います。そして、この段階のあれこれというのはかなり重要で、だからこそ、「考えを寝かせる」とか「構想をあたためる」といったことが出来るようになると思うわけです。
僕は文章を書きながら考えをまとめるのが苦手で、ある程度、結論めいたものを考えてから書き始めます。「書き出し」にとりかかるのに時間がかかるんですね。その代わりに、「書く」ときには、言葉を選んだり構成を整えたりすることに集中しますので、書いている間に結論がぶれたりすることはほとんどありません。この記事を書くのだって、数日あたためてから一気に書き上げようとしているわけです。
僕は作曲をやるのですが、3分間の曲を1曲作るのに、ピアノに向かって30分くらいかかります。(もっと速いひともいるでしょう。)でも、いきなりピアノに向かうわけではなく、少なくとも数日間、曲のことを考えながら、全く違う音楽を聴いたり、本を読んだり、料理をしたりします。つまり、このとき「構想をあたためている」わけで、こういう時間が非常に重要なんです。だから、30分で1曲作れるからといって、300分で10曲作れるわけではありません。
一方、僕は絵を描くのが苦手なので、100時間与えられても、おそらく1枚も描けないでしょう。
こういうのは人による、あるいは才能やスキルによる、ということなのかもしれませんね。
音楽、絵画といった芸術分野の例を挙げましたが、芸術以外の仕事分野にも同じことがいえると思います。
若い人たちと仕事をしていると、いや若くなくてもあることですが、深く考えずに発言してしまう人をよく見かけます。
そういうとき、「おまえ、もうちょっとよく考えてから話せよ」と思ってしまいます。
自分一人で誰にも見せずに、紙や PC に書き出しているだけなら(いわゆる“チラシの裏”ですね)構わないのですが、まとまりのない、浅薄で未消化な意見を披露されても、困惑してしまうわけです。
ここでは具体例は挙げませんが、“脊髄反射”というネット用語(?)を想起すれば、どういうことなのかお分かりいただけるかと思います。
「出力」する前に、よく咀嚼し、何度も反芻し、じっくりと消化する(消化器系の比喩が多いですな)ことによって、
谷崎潤一郎 『私』
2007.12.15 [ Edit ]
古本屋の店先で手にとった1冊の本が「買ってください」といわんばかりの視線で僕を見つめる。
そんな経験はないだろうか。
古書を集める趣味はないのだけれど、こういう珍品を見かけると、つい手が出てしまうのである。
【書名】
谷崎潤一郎著 『短編集 私』 全國書房刊 昭和廿二年 B5版 265頁
【収録作品】
「私」、「馬の糞」、「不幸な母の話」、「ちひさな王國」、「前科者」、「或る調書の一莭」、「西湖の月」
昭和22年といえば『細雪』が連載中であり、戦時中に発禁扱いとされた谷崎が傑作を次々に出版していた時期にあたる。つまり、文豪・谷崎潤一郎の人気絶頂期に刊行された短編集なのである。
とはいうものの、本書は Wikipedia にも掲載されておらず、マイナーな初期の作品を収録したものであるようだ。(全集本などできちんと調べたわけではないが、おそらく大正10年前後に書かれた短編と思われる。)
わが国を代表する文豪であり、世紀の変態作家、谷崎の珍本。それだけで、わくわくするのである。
ちなみに、売価千円であった。そんなに高い代物ではないのだな。
というわけで、読んでみた。
上の画像のとおり、旧かな旧字体だが、谷崎の文章は極めて平易であり、読みやすい。
本書の収録作品の大半は、“犯罪小説”である。
表題作、「私」は叙述トリックを用いた佳作。今となってはさすがに使い古された感があるが、なんといってもアガサ・クリスティの“あの”名作より5年も前に書かれていることに注目したい。
などと思っているうちに、「私」が再録されている文庫本が最近、発売された。(「私」以外の作品は重複していないようだ。)
また、手にとってみることにしよう。
そんな経験はないだろうか。
古書を集める趣味はないのだけれど、こういう珍品を見かけると、つい手が出てしまうのである。
こちらの画像は扉。(箱に入っているので中身はきれい。ただし、終戦後の本なので、紙と印刷の質は最悪。インクが薄くて読めないページあり。)
※画像はクリックで拡大します。
【書名】
谷崎潤一郎著 『短編集 私』 全國書房刊 昭和廿二年 B5版 265頁
【収録作品】
「私」、「馬の糞」、「不幸な母の話」、「ちひさな王國」、「前科者」、「或る調書の一莭」、「西湖の月」
昭和22年といえば『細雪』が連載中であり、戦時中に発禁扱いとされた谷崎が傑作を次々に出版していた時期にあたる。つまり、文豪・谷崎潤一郎の人気絶頂期に刊行された短編集なのである。
とはいうものの、本書は Wikipedia にも掲載されておらず、マイナーな初期の作品を収録したものであるようだ。(全集本などできちんと調べたわけではないが、おそらく大正10年前後に書かれた短編と思われる。)
わが国を代表する文豪であり、世紀の変態作家、谷崎の珍本。それだけで、わくわくするのである。
ちなみに、売価千円であった。そんなに高い代物ではないのだな。
というわけで、読んでみた。
上の画像のとおり、旧かな旧字体だが、谷崎の文章は極めて平易であり、読みやすい。
本書の収録作品の大半は、“犯罪小説”である。
表題作、「私」は叙述トリックを用いた佳作。今となってはさすがに使い古された感があるが、なんといってもアガサ・クリスティの“あの”名作より5年も前に書かれていることに注目したい。
![]() | 谷崎潤一郎犯罪小説集 (集英社文庫 た 28-2) (集英社文庫 た 28-2) (2007/12/14) 谷崎 潤一郎 商品詳細を見る |
などと思っているうちに、「私」が再録されている文庫本が最近、発売された。(「私」以外の作品は重複していないようだ。)
また、手にとってみることにしよう。
いらっしゃいませが表示されない理由
2007.12.02 [ Edit ]
「只今、お取り扱いできません インターホンで係員へご連絡ください」
夜間のコンビニATMに障害が発生すると、監視センターへ連絡が行き、 警備会社の車が、15分で現地に到着する。
真新しい制服を着た二人組の警備員。
一人は、体格の良いスポーツ刈りの体育会系。 もう一人は、細面のインテリ風だ。
彼らは、2本のキーを使って、ATMの前面パネルを開き、内部のユニットを引き出す。
インテリ風がユニットの前に座り込み、ユニットの中を点検して行く。
体育会系は、傍らに立ちながら、時折、マニュアルの要所要所を朗読する。
ボタン操作。稼働チェック。異常なし。
ボタン操作。稼働チェック。異常なし。
何十もある点検項目を一つずつ、念入りにチェックしていく。
彼らの眼差しは真剣そのものであり、顔には玉のような汗が浮かんでいる。
ユニットの最下部。
スタッカと呼ばれる紙幣を収納する場所に、ボロボロになった万券と、 小さな金属製のクリップが見つかる。
体育会系は、障害の発生原因を記録表に書き留め、 インテリ風は、ユニットを組み立てて、リセットボタンを押す。
「いらっしゃいませ。お取引内容を選んでください」
二人の青年に安堵の表情が浮かぶ。
「20分経過。そこまで」
スーツを着た男が、腕時計を見ながら言う。
「12分で復旧できるまで、練習しろ。 操作がわからなくなったら、直ちにセンターに連絡して、指示を仰ぐこと。 よし。次。交代」
上記は、某警備会社の新入社員研修の模様である。
研修担当のインストラクターは、警備10年、営業6年の後、本社へ配属になったベテラン。
一番かっこよかったのが、彼だった。
男の職場というのも、良いものだと思う。
(初出、mixi。)
夜間のコンビニATMに障害が発生すると、監視センターへ連絡が行き、 警備会社の車が、15分で現地に到着する。
真新しい制服を着た二人組の警備員。
一人は、体格の良いスポーツ刈りの体育会系。 もう一人は、細面のインテリ風だ。
彼らは、2本のキーを使って、ATMの前面パネルを開き、内部のユニットを引き出す。
インテリ風がユニットの前に座り込み、ユニットの中を点検して行く。
体育会系は、傍らに立ちながら、時折、マニュアルの要所要所を朗読する。
ボタン操作。稼働チェック。異常なし。
ボタン操作。稼働チェック。異常なし。
何十もある点検項目を一つずつ、念入りにチェックしていく。
彼らの眼差しは真剣そのものであり、顔には玉のような汗が浮かんでいる。
ユニットの最下部。
スタッカと呼ばれる紙幣を収納する場所に、ボロボロになった万券と、 小さな金属製のクリップが見つかる。
体育会系は、障害の発生原因を記録表に書き留め、 インテリ風は、ユニットを組み立てて、リセットボタンを押す。
「いらっしゃいませ。お取引内容を選んでください」
二人の青年に安堵の表情が浮かぶ。
「20分経過。そこまで」
スーツを着た男が、腕時計を見ながら言う。
「12分で復旧できるまで、練習しろ。 操作がわからなくなったら、直ちにセンターに連絡して、指示を仰ぐこと。 よし。次。交代」
上記は、某警備会社の新入社員研修の模様である。
研修担当のインストラクターは、警備10年、営業6年の後、本社へ配属になったベテラン。
一番かっこよかったのが、彼だった。
男の職場というのも、良いものだと思う。
(初出、mixi。)




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